起因
今天做日文的阅读理解,写着写着看到这么一篇文章,看了一下还挺有意思的,于是打算自己摘抄过来。
摘自 村上龍『おしゃれと無縁に生きる』
少子化、超高齢化で、将来的に労働力が不足し、生産力が激減するということで、移民の受け入れと並んて、高齢者の雇用延長、再雇用が奨励されるようになった。定年も1970年代には55歳だったものが、その後60歳、さらに、改正高年齢者雇用安定法により、65歳までの雇用確保が定着つつある。(中略)
アメリカのように定年制がない国もあるが、日本の定年がどうやって決められているのか、わたしにはよくわからない。おそらく平均寿命から算出されているのかも知れない。長く続いた「55歳定年制」だが、日本人の平均寿命が40歳代前半だった二十世紀初頭に、日本郵船が設けた社員休職規則が起源という説が有力だ。今や、平均寿命が80歳を超えているわけだから、65歳ではもちろん、ひょっとしたら70歳、いや75歳までは働けるのではないか、といったムードがあるように思う。そしてメディアは、「いくつになっても働きたい、現役でいたい」という人々を好んで取り上げる。働いてこそ幸福、という世論が醸成されつつある感じもする。
だが、果たして、歳を取っても働くべきという考え方は正しいのだろうか。「村上さんは会社勤めじゃないから定年なんかなくていいですね」と言われることがあり、「まあ、そうですけどね」とか曖昧に対応するが、内心「ほっといてくれ」と思う。
パワーが落ちてきたのを実感し、「もう働きたくない」という人だって大勢いるに違いない。「ゆっくり、のんびりしたい」と思っていて、経済的余裕があれば、無理して働く必要はないと個人的にはそう思う。さらに不可解なのは、冒険的な行為に挑む年寄りを称賛する傾向だ。歳を取ったら無理をしてはいけないという常識は間違っていない。冒険なんかされると、元気づけられるどころか、あの人に比べると自分はダメなのではないかと、気分が沈む。勘違いしないで欲しいが、年寄りは冒険をするなと言っているわけではない。冒険するのも、自重するのも、個人の自由であって、一方を賛美すべきではないということだ。
わたしは、60歳を過ぎた今でも小説を書いていることに対し、別に何とも思わない。伝えたいことがあり、物語を構成していく知力がとりあえずまだ残っていて、かつ経済面でも効率的なので、書いているだけで、幸福だとか、恵まれているとか、まったく思ったことはない。「避ける」「逃げる」「休む」「サボる」そういった行為が全否定されているような社会は、息苦しい。
感想
在看到这篇文章的时候,确实让我回想起了很多事情。
在我读高中那会,就已经有因为老龄化即将到来而准备提高退休年龄的新闻。同学们看到哀嚎一片,而我并不怎么在意。因为我比起浑浑噩噩度过没有意义的时间,更喜欢能思会想有产出的时间。也许我真的有退休的一天,但我应该也不会停止给自己找事情做吧。
不过比起国内开始盛起的“不想竞争”,“讨厌努力”的风气不同,初来日本时我感受到了一副诡异的截然相反的氛围,就如文章所述,是一副鼓励老龄也奋战在一线的氛围。不管是出租车,还是各种服务业,再到交通协管,白发苍苍的老者比比皆是,而人们习以为常。我也零零散散打过不少零工,身边基本都有不少50到70岁的人,甚至还有70以上的,大家都很和善,人都很好,也很精神,年长者甚至拿的时薪还会略微低一点,原因无他,因为年长者找零工都很困难,有愿意收留的地方就已经很感激了。我也问过一些老者,给出的答案无非都是些在家里闲不住,出来找点工作还能赚点外快不是挺好的,但实际上他们似乎也不缺钱。
人体的衰老是自然且不可抗力的现象,而机能的衰竭会带来各种负面症状,即便不谈各种病症,衰竭的机能能适应的工作自然是会越来越少。即便如此还要坚持出来找工作,除了可能的经济原因,可能心理方面的需求也是重要的原因。孤独,不想被抛弃,想证明自己的价值,各种各样的欲求,虽然难以一一进行完美的解决,但是通过打工可以缓解很大一部分。我也能理解这种感觉,或许我也是这么想的,才认可他们的这种思维。但一味地鼓励不停地努力工作,确实也是不好的。
我认为这其中最大的区别就在是否有选择,即便是虚假的。很多人不喜欢继续延长退休原因无他,都是想着干着这些无趣的工作熬到退休就可以去干自己喜欢的事了,你让他再继续熬多十年二十年那期待一下子就落空了。而这中间最大的问题就是年龄到了一定限度之后大家似乎就已经定死在一条路上了,似乎不再有选择工作和生活方式的权利。不管是客观条件的限制,比如很多行业需要丰富的经验积累,也有年龄的硬门槛,还是主观意识上的限制,比如不愿意丢弃自己苦心经营数十年的生涯,或者害怕未知世界的不稳定。但如果给大家一个可以轻松自如地接触自己喜欢的行业的机会,并能将其当作自己的职业的机会,我想应该不会有人会拒绝吧。当然这个世界并没有那么简单,也许大家都憧憬的行业本身就是容量小而又不被需要的,又或者接触了一直憧憬的行业结果失望反而无所适从了,种种可能的要素导致这几乎是一个无解的问题。
但不论如何,我认为不管是社会还是自己,都应该学会给自己一个丢弃一切重新开始的机会了。